高校の同級生のキュウソネコカミのドラム、ソゴウの話です。
これはまじで、「芸能人と知り合いなんだぞ」という最低の下心100%で、再掲します。
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長女が生まれてすぐのこと
長女が生まれたとき、この子はなんと人を招く子なのだろうと驚いた。
ただでさえ、赤ちゃんというだけでそういう力があるだろうに、里帰り出産に年末生まれという要素が加わって、本当にすごかった。入院中だけでなく、退院後の元日以降も、入れ替わり立ち代り、帰省している人たちがたくさん会いに来てくれた。
私は友達が少ないので、これはあきらかに長女の力だった。 普段連絡をとらない同級生が、どこからか私が出産したことを聞きつけて突然病室をノックしたり、音信不通だった知り合いが、辺鄙な場所にある私の実家に車で30分以上かけてやってきたりした。私の知り合いだけでなく、母の知り合いも長女に会いにきてくれた。ずっと会いたかった人に、十年ぶりに会えもした。
長女が招いた、たくさんの人たちの一人に、高校の同級生、キュウソのソゴウもいる。
妊娠前、そごうを含めた友人たちと時々飲み会を開いていた。私が所属する数少ないコミュニティだったので、出産後、彼らになかなか会えなくなることが少し切なかった。次に会うのは、2年後くらいかなぁ、と大きいお腹で参加したときにぼんやり思っていた。
なのに、生まれてすぐにまた会えた。
退院したことを報告したら、ちょうどそごうが地元に帰る前日で、これまた運良く別の友人がそごうを駅まで迎えに行ってくれることになって、トントン拍子に話がまとまって、実家にそごうがやってきた。
1月2日。忙しいそごうの、たった1泊の帰省だった。
急遽決まった話だったのに、二人とも、長女にたくさんのお祝いを用意してくれて驚いた。
ミーハーの母が終始ソワソワしていた。すごく楽しい時間だった。
長女に、大丈夫だよ、と言われているみたいだった。
生まれる前、「生まれたら大変だよ」「生活が一変するよ」「お腹にいるうちにできることしときな」と、みんなが呪文のように同じことをいうので、私は今の私の全てを失うんだとビビっていた。
言う側はなんの悪気もなくただのあいさつみたいに言うのだけど、私にとってはほとんど脅しだった。
でも、生まれてみたら全然違った。 確かに生まれた瞬間から、いろんな制限もできたし、自由な独り身ではなくなったけど、でも、座布団一枚に収まる小さな長女からもらった縁みたいなものもたくさんあって、失ったものはそんなになかった。
つい数ヶ月前に会ったのとなんにも変わらない感じでそごうたちと会えて、地元の方言をどこかに落としてしまったそごうのコテコテの関西弁を聞いて、心底ほっとしたのだった。ありがたかった。
この4コマの数ヶ月後、そごうたちは再び長女に会いにきてくれ、長女はそごうに抱っこしてもらえる。
写真の中で長女を抱っこしているそごうはとてもいい笑顔で、高校時代に居眠り中、目を開けて眠っていてまわりをざわつかせたり、起きていても目が死んでいて周りをざわつかせたりしたそごうとは思えない生きた優しい目をしている。
いつか、長女にこの写真を見せて、この優しい顔した人、キュウソネコカミのドラマーなんだよ、ドラム叩く姿かっこいいんだよ、抱っこされたことあるんだよと教えてやろうと思う。
そして卒アルや普段のそごうの写真を見せて、ほら、こんな眼をしてる人が、長女を抱っこしたらこんなに笑うんだよ、長女ってすごいんだよ、とも教えてやりたい。
夏になると、通っていた塾の休憩室で、そごうたちと毎日、お昼を食べていたことを思い出す。
近くにお美味しい惣菜屋さんがあって、毎日たらふく食べるうちに、そごうはぶくぶくと太っていった。私が太らずに済んだのは、そんなそごうを見て「こいつやべーな」と思い、夏休み後半、食べる量をセーブしたからである。 そごうに後からそれを言ったら、パンパンの顔で「まじか、お前早よいえや」と沈んでいた。
そごうがどうかは知らないけれど、家でも学校でもないそごうと数人の友達だけがいるあの空間が、当時の私にはそこそこ大事な一つの居場所だった。あのころに戻りたくはないけれど、またあの涼しい部屋で、お昼食べたいな、と思う。
だけど叶わない。
塾は改築されて、私たちが使っていた休憩室はなくなった。お惣菜屋さんもそのうちなくなるかもしれない。そもそも地元に集まることがない。
でもなんだか、いつか、長女が叶えてくれる気がする。
どこか違う場所で、違うお惣菜屋さんで、子連れで、なのに懐かしい空間を、不思議に招いてくれそうな予感。
そんな日が来たら、昔食事終わりにそごうに渡したら、微妙な顔で「美味しいと思わない」と失礼なことを言って、ポケットにしまわれてしまった(受け取るんかい)、チーズおかきを買って行こうと思う。
Twitterで、前ブログの漫画を再投稿しています。